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就職氷河期世代フリーターのなんとか仕事をしないで生きる方法を見つけるブログ

貧困への滑り台

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f:id:twodclip:20171125171332j:plain あくまでも僕の考え方ですけど、貧困状態になることって自分の責任ではないと思うのです。
今回は、先日お話しした「失敗に厳しい社会」の続きを。

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誰しもが陥る可能性がある

たぶん、自分もバブルくらいまでは中流家庭に育っていたと思うのです。

実際、昔はお金の面で苦労をしたという記憶はない(ただし、贅沢はできるレベルではないが)けど、それが父親が病気で倒れてから、あれよあれよという間に落ちていった気がします。

そういった、普通じゃない出来事によって、人は冷静さを失い本来選ぶべき選択を選ばず、落ちていく方向になっていくのではないかと思います。

僕自身が、そういう経験をしているので、口が裂けても「貧困は自己責任」とは言えません。

「ギャンブルにのめり込む」背景

どうも、社会を見ていると「貧困=悪」といったイメージに捉えられている気がします。

だから、貧困になったのは、ギャンブルのせいだ!とか本人の努力が足りない!とか、何らかの本人の問題行動が原因であると言いがちです。

そういったことに陥るどういう出来事が発生したのかということには、ほとんど注目されない気がします。

たとえば、ギャンブルにのめり込むのは、何らかの原因があるはずです。
それが、例えば小さい頃に親によく連れられてパチンコ屋や競馬場に出入りしていたとか、そういった経験から、そういった場に入ることが元々抵抗がなく、ギャンブルの世界に何の躊躇もなしに入ってしまうという人もいるかもしれません。 この場合は、親の環境の継承であって、もし、親がギャンブルにのめり込むタイプではなかった場合はそうならなかった可能性が高まります。(もちろんゼロではない)

もう一つが、本人の成功体験の少なさから、擬似的な成功体験を得られるギャンブルにはまってしまうということも考えられます。(僕がたぶんこれだと思います。)

成功体験の少なさ

僕は人生上何度も挫折を経験しています。

受験の失敗から就職の失敗。そして、恋愛の失敗。
あげたらキリがありません。

こういった失敗や後悔というものがあまりにも多いと、自分自身にどんどん自信がなくなっていって、今自分がとっている行動さえ本当に正しいのか疑念を感じながら行動をしてしまいます。

そういった、状況の時にギャンブルというものが現れると、その擬似的な成功体験を得られる(と思っているだけなんだけど)状況が快感となり、どんどんギャンブルにはまっていく方向に持って行かれます。

ギャンブル以外でどこかで救われるような出来事があれば、その状況は抜けださえたかもしれません。
しかし、そううまくいくわけもなく、結果的にどんどん滑り台を下に下にと滑り落ちていくだけです。

そういった心の隙間をギャンブルで埋め合わせるということを、人によってはしてしまうのだと思います。

生活保護でギャンブルをするな

生活保護のお金でギャンブルをすることはけしからん。

その意見はごもっともだと思います。

働いている身からすると、なんで一日中ギャンブルに入り浸ってるんだよと僕でも思います。

ただ、その反面、そういったのにのめり込んでいる人は、やっぱり成功体験が少ない人なのかなと思ってしまう自分もいるのです。

だから、生活保護はだめなんだ廃止しろという方向に持って行くのは、どうしても解せないんですよ。

失敗に厳しい社会だからこそ失敗したときに頼れる社会に

生活保護に関しては、周囲にもらっている人を見かけることがありますが、本当にもらう必要があるような精神疾患を抱えている人から、なんでこの人がもらっているの?と思われる人まで様々います。

こういった人々を個別に対応して、実態に合わせた保護の仕方を目指すのが理想だとは思いますが、できるとは到底思えません。

だから、こういったセーフティーネットは現状維持あるいは拡充した上で、もう少し働き方に多様性を持たせるような社会にもっていけばいいんじゃないかなと僕は考えています。

例えば、残業を禁止して、その溢れる労働部分を分業にしてみたらいいかと思います。

昔と比べて、一人の人が抱える仕事量が増えすぎていると思うのですよね。

それを細分化して分業して、そこはパートタイムなりアルバイトなりを使って分業していく。(理想は、社員を増やすことだとは思うけど。)

今、仕事で何らかの躓きから復帰できない人って、あれもこれもそれもどれもという感じで仕事を振られることが苦手だという人もいると思うのですよ。

ならば、そういう人が合うような仕事を社会が提供することがあってもいいと思うのです。

昔と比べて、職種が減ったということは、それだけあぶれる人がいる。
昔ならあぶれなかったのにあぶれる人がいるってことだと思うのです。

今の社会は、小食の人に大盛りのごはんとおかずが入った定食を食べろといっているようなものだと思うのです。
大食いの人は食べられますけど、小食の人は食べきれませんよね。

でも、それに近いことを要求している社会なんだと思います。

社会が、こういう働き方をしろと要求するのではなく、個人のこういう働き方をしたいという要求に応じられるような社会になってほしいと切に願うばかりです。